誠実で合理的な判断は市民の手にこそある~八ツ場ダム東京控訴審結審①

 東京都に対し、八ツ場ダム建設への公金支出差止めを求める住民訴訟の控訴事件は、21日結審しました。控訴人は、生活者ネットワークのメンバーも含む都民37名。被控訴人は東京都水道局長他4名。弁護団は約1時間にわたり、いつもながらの緻密な弁論を展開しました。5名の弁護団の弁論は、反論しようとしてもおよそできないであろう、周到な調査に基づくデータを駆使した内容。 

1.利水における不要性及び東京都の対応   準備書面19(利水最終書面)はこちら

東京都の水需要はここ20年間低下の一途をたどっている。20年前の最大配水量は617万㎥であったが、2012年には469万㎥。24%の減少。一方、都が保有する水源は618万㎥。多摩地区水道の地下水源を含めれば687万㎥にもなり、余剰水源量は現在の水需要の46%にもなる。八ツ場ダムが完成する頃には都の人口も減少に転じる。利水面においての必要性は全くない。 

これに対し、都は、八ツ場の必要性を説くために、何としても一日600万㎥の数字を出したいがために、30年以上も前のデータを持ち出し、今後も水需要が伸びると主張。有収率や負荷率まで引き下げて水需要拡大のデータを出し、需要のV字回復の予想を出した。

  民間では、このような理屈が通じるはずもないでしょう。税金の上にあぐらをかく行政ゆえのこと。都は、実際の水需要ではなく、八ツ場ダム建設のための水計算をしているに他なりません。

 2. 治水における不要性及び国交省の対応  準備書面18(治水最終書面)はこちら

 利根川の治水計画は、昭和22年のカスリーン台風洪水を計画対象洪水として、昭和55年に策定されている。その際、上流の河道改修や流域の都市化を理由に、基準点・八斗島での基本高水のピーク流量を1万7千㎥から2万2千㎥に改訂した。しかし、上流の改修がほとんど行われていないことが判明。森林の生長により流域の保水力は上昇しており、洪水量増大の理由は認められない。このことは、国交省自らが、カスリーン級台風の再来があっても、1万6750㎥の洪水にとどまることを示していることからも明らかである(甲B39号証)。 

これに対し、国交省は、カスリーン級台風洪水による上流部での大氾濫を成立させるために、「カスリーン台風時、烏川左岸において、高崎市役所が建つ台地にまで浸水した」「その下流右岸丘陵地帯にまで洪水が上がった」などの報告書(甲B158号証)を提出したが、日本学術会議からは「氾濫の議論は不可能」とされている。 

 起こりえない事態を想定してのダム建設など許されるはずもなく、今日の流域状況を反映した流出率に基づく再現計算をすれば、利根川・江戸川有識者会議の委員でもある関良基拓殖大准教授の行った計算どおり、1万6600㎥となり(甲B146号証)、既設6ダムのダムカット量を勘案すれば、その洪水規模は1万5千㎥台となるのです。仮に八ツ場ダムを建設したにしても、東京都を流れる江戸川下流部での水位を下げる効果は数cmに留まることもわかっています。利水・治水両面において、東京都に利益はもたらされないばかりか、負担金の支出が莫大な無駄遣いとなるのは自明です。

  都道府県が国に支払う治水(受益者)負担金は、河川法63条に基づくものですが、そこには、「著しい利益」が具体的に把握できていなければなりません。しかしながら都は、「著しい利益」の判断権は都にはない、として都民の税金の使途の管理義務を放棄し、合理的な理由なき支払い義務の存在のみを主張しているのです。地方は国に従属するものではないはずです。この日も、そしてこれまでも、住民側の主張に対し、弁論で対抗する姿勢は見せず。「だまっているということは、認めるということですね?」とは裁判官も聞きません。 

 都は、重大・明白な利益を受けるという事実を具体的に主張立証する責任を負いながらそれをせず、裁判所はこの主張の当否を審理することが任務でありながらそれをしているとは到底思えません。司法も行政も、本来の判断の枠組みをすっかり見失っています。政治もそう。優秀なはずの裁判官も都職員も、義務教育程度のピュアな見識でもあれば、わが身を恥じることでしょう・・。官僚と政治家は言うに及ばず・・。