守られるべき立憲主義的民主主義~大飯原発再稼働差し止め判決

 21日、福島地裁で下された「関西電力の大飯原発を再稼働させてはならない」との判決を胸のすく思いで受け止めた方々は多かったと思います。 

  これまで多くの場面で、行政のみならず、司法にも辛酸を嘗めさせられてきた市民にとって、まさに「司法は生きていた」と心から思える判断。司法の矜持を守り抜かれた3名の裁判官(樋口英明さん、石田明彦さん、三宅由子さん)の職責に心が洗われます。 

 何度読み返してもさっぱりわからない判決文に接することもありますが、今回の判決文(判決要旨)は、一度読めば納得。わかりやすくも格調高く、地震対策の不備、生存に関わる人格権、コストと住民の安全のとらえ方など、市民がこの間抱いてきた素朴な疑問を丁寧に解き明かしています。

「極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないこと」

「たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失である」

 原発問題に従前から精力的に取り組み、この2月、フリーのジャーナリストとして福島第一原発内にも入られた、まさのあつこさんが、さらにわかりやすくまとめてくださっています。こちらから。 

 この先は、この判決を守り抜くことが求められますが、政府は、これまでの再稼働の方針について「全く変わらない」とし、関西電力が22日、名古屋高裁金沢支部に控訴したことで、法的には大飯原発再稼働に支障はないことになるといいます。

  15日、生活者ネットワークの学習会にお越しいただいた、政治学者の杉田敦さん(法政大学教授)は、安倍総理が持つ、非立憲主義的民主主義観、一元主義的民主主義観に懸念を示されました。 

 多数派をとったところが民意を代表して決めるのが民主主義。自分は民主主義そのものであり、全部決めることができる、となる。それに対し、内閣法制局が意見を言っても聞かない。それは官僚は選挙で選ばれていないから。裁判官も選挙で選ばれておらず、試験に受かった人。だから、司法の判断は民主的判断ではない、となる。数人の裁判官が、民主的リーダーの判断に文句を付ける資格はないということに。しかし、主権者の民意を体現する政府がすべて決定するだけの民主主義なら、民主主義は独裁に向かう。これだけでは非常に危ない。誰も文句を付けなければ、政治はスピードアップするが、少数意見や慎重意見、権利、原則は失われる可能性がある。 

 これに対し、立憲主義的民主主義観がある。立憲とは、憲法の原則、政治的原則を大切にするということであり、一元主義ではなく多元主義。民主的権力は議会多数派を背景とするが、だからと言って全部決めていいということではない。それに対し、さまざまなブレーキが同時にある。憲法であり、司法である。司法は民主的ではないとも言えるが、あえてその司法がチェックすることで、民主主義はまっとうに機能する。人権や憲法原則を守るためにはこうしたしくみは必要。

  杉田先生は、「民主主義プラス自由主義」の重要性を指摘され、「『自由』は『権利』に置き換えられ、権利・人権と民主主義はいつも一致するわけではないが、人権はどんな民主主義でも奪えない」。なぜなら、「人権は民主的に決定されているのではない。人権に根拠はなく、人権そのものが根拠である」と説かれました。

 一票の格差への不十分な対応も、諫早湾開門確定判決の不履行も、憲政史上例がない異常事態。。このところの行政への権力の集中、一元化に歯止めをかけるためにも、今回の司法判断が尊重されるよう、国民も引き続き監視しなければ。