憲法前文にこそある「積極的平和主義」

 「近年の戦争は多く自衛権の名において戦われたものであります。・・・故に、我が国においてはいかなる名義をもってしても交戦権は自ら進んで放棄する。・・・世界の平和確立に貢献する決意をまずこの憲法において表明したいと思うのであります」 

   1946年、吉田茂首相が国会で答弁(6P「政府答弁」参照)した内容には、日本国憲法の平和主義が明確に貫かれていました。 

 今月の江戸川ネットのミニフォーラム「それゆけ!タイム」では、日頃から地域でともに平和活動を続ける鈴木篤弁護士(江戸川法律事務所)から、「安倍首相が語らない『集団的自衛権行使』の真実」についてお話を伺いました。日本国憲法は、何を語っているのか、憲法の平和主義がどう踏みにじられてきたのか、「集団的自衛権行使容認」という今回の閣議決定が当面何をもたらすのかについて学び、意見交換を。 

 冒頭話されたのは「憲法における平和主義は9条のみにあらず。平和主義の中身は、憲法前文と合わせてこそ」。

 特に日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」を何度も紹介され、「これこそが本来の積極的平和主義。憲法は自衛権をも否定している」と。

 しかし、「閣議決定では、武器使用は『警察比例の原則に類似した比例原則による』としている。これは相手の使用する武器に比例する、ということで、小銃には小銃、機銃には機銃、ミサイルにはミサイルと、相手が使う武器によって際限なく拡大する。よって、『必要最小限の武器使用』は、言葉の持つ印象とはかけ離れたものであり、『我が国と密接な関係にある国』『明白な危機』などは、明確な事実に基づくものでなくとも、政府がそう考えれば行使可能となることが懸念される」。『限定』も空論です。

 今後は、「集団的自衛権行使容認のための関連法規が整備され、そこでは、専守防衛からの根本的な変更が、また、内閣の独断など中央統制の強化が、さらには地方自治体への介入を強めるなどがすすむ」と指摘。まるで、あれほどまでに猛省し、過ちを繰り返さないと誓ったはずの、その時代への回帰。官邸前でのデモ行動にも規制をかける動きが。

 数々の詭弁、強弁、虚言により、ここに至っていることについては、「国民が真実を知ることをおそれている。知れば知るほど見放されるから」と指摘。「こういう集会を開き、周りの人に広げ、大勢の人が真実を知ることが重要」と結ばれました。

 格調高く、揺るぎない憲法前文に謳う真の「恒久平和」のために、これからもともに地域で平和運動を続けていきましょう。江戸川ネットのHPも合わせてご覧ください。

 ■鈴木篤弁護士は先月、「わたくしは日本国憲法です。」を出版されました。自らが憲法に成り代わり、一人称で語りかけます。

「日本国憲法は、あなたがた日本国民が、平和のうちに幸せな生活を送れるように、あなたがたを守るために生まれてきました。
わたくしを手放さないでください。
わたくしを葬らないでください。」

出版の大きなきっかけは、「集団的自衛権容認」への大いなる危機感からです。

詳しくはこちらから。