古代ギリシャでは「オリンピック開催の前後数ヶ月は一切の武力闘争を中止する」というルールがしっかり守られていました。「オリンピック憲章」にはその精神が受け継がれ「目的は、人間の尊厳に重きを置く平和な社会の確立を奨励することにある」と示されています。しかし、1916年ベルリン大会が第一次世界大戦で、40年東京大会が日中戦争で、44年ロンドン大会が第二次世界大戦で、過去3度も中止されています。当然「戦争当事国は開催国となれない」にもかかわらず、2002年のソルトレーク大会はアメリカが「戦時下にある」状態のまま決行されました。
今大会に先立つ7日、国連総長が「五輪停戦」声明を出しましたが、「五輪停戦」の歴史は実は浅く、1994年リレハンメル冬季五輪の決議が最初。ソルトレークの時ももちろん決議されていましたが、その決議文には「戦争停止」の文言はなく、「選手の安全な移動と参加を保証することによって、五輪停戦を遵守するよう求める」と、トーンダウンしたといいます。
「ひとつの世界 ひとつの夢」を掲げて、8日、華々しく行なわれた北京オリンピックの開会式を伝える朝刊一面で同時に報道されたのは「ロシア軍とグルジアの交戦」。多くの犠牲者が出ました。テロの恐怖もある中、古代から続く「世界平和」への理想に、もはや「オリンピック」が寄与できるのか。できるようにする努力はもちろん大事ですが、「平和」には、「祭典」ではない、着実な取り組みこそ必要です。
東京・生活者ネットワークの情報紙「生活者通信」に、平和や環境などのNGO活動で知られる田中優さんの連載が掲載中。「巨大な東京を、平和な地域のかたまりに」をテーマにした8月号では「カネに目がくらんだ人々によって、人類は温暖化か戦争で滅ぼされようとしている」と警鐘を鳴らし、東京が取り組むべきアイディアが。どうぞご一読ください。