11月22日(日)、紅葉に彩られた吾妻渓谷にある八ツ場ダム建設現場の現状を視察してきました。
1985年の基本計画では、2000年完成に向けた事業費は2100億円。2001年には工期を2010年に変更、同時に全国一高額な4600億円の事業費が示されました。昨年、さらに工期が2015年までに延長されましたが、このときにはダム堤体の縮小がなされています。ダム本体のコンクリート量を減らし、コスト縮減を図るというのです。
八ツ場ダム建設是か非か。この議論の中では公共事業イコールダム建設、と受け止められています。しかし、ダムが事業のごく一部であることは現地を訪問すれば一目瞭然。まずは、水没予定地にある家屋や交通網を移転させなければならず、鉄道や国道、県道の付け替え、橋の建設、代替地造成のために、至るところで豊かな自然が無残に壊され、工事現場はさむざむとした様相を呈しています。ダム本体以外の関連事業費がその9割以上を占めるダム事業など、過去に例がありません。
かつて川原湯温泉は、昔ながらの歓楽街を抱え、駅から歩いて行けることもあり、非常に活気を帯びていました。ダム建設により、温泉という生活の糧を失う温泉街の人々が、反対運動の中心であったのは至極当然のことです。そこで、国と群馬県が地元の協力を得るために提示したのが「現地再建ずり上がり方式」。現在、温泉街も宅地と同様に、水没しない高い地点に代替地が造られています。新しい温泉街は、水没する現在地からポンプによって何十メートルも源泉を汲み上げなければならず、安定した温泉経営ができるのか危ぶまれるところです。そもそも、移転して旅館業を続ける経営者は決して多くないといいます。川原湯地区の住民の多くは土地所有者でないため、ダムの補償金では旅館や店舗を再建するのに必要な資金を得られないのです。現在、この地区の住民は30年前の4分の1にまで減少しています。代替地造成の大幅な遅れに加え、代替地分譲地価が、最高の温泉街で坪17万円以上であるなど非常に高いこと、安全性や観光地としての将来性に対する不安などが住民流出に拍車をかけたのです。
もともとダム計画は、水没予定地域の人々の犠牲を前提に、下流域の住民の利益を優先させる発想に基づいてつくられたものです。その結果、ひとが生活する上でなくてはならないコミュニティがまさに崩壊してしまっています。前原大臣が現地入りした時、地元住民が面会を拒んだという報道も、実は、ダム賛成の立場で、ダム建設に向けて各地区のとりまとめをしてきた代表者たちの意思であり、地域住民の総意ではなかったといいます。もはや、一貫して反対している方々は、表立って声を上げることさえできない状況にあるのです。川原湯地区で終始反対の立場である住民の方から「昔は草津などの温泉と競ってきたが、ひなびたこの温泉街を残し、近隣の温泉同士が共存するようにしたい」というお話を伺いました。
ダム事業を中止する上では、その理由の十分な説明と同時に地域再生の道筋が示されなければなりません。ダムは中止しても、継続すべき工事は継続する。そして、どういう地域社会を再生するのか、住民主体の計画を立て、その実現のために、行政・専門家が強力にサポートしていくことが望まれます。
↓山肌が崩れ、保護シートで覆われた斜面。右は、代替地のひとつ。分譲開始面積は計10%。町外へ越す人が多く、代替地で暮らす人は少ない。