区の説明と異なる?「江戸川区史」に見る水害の歴史~江戸川区、スーパー堤防早期事業化を大臣に直訴

 国の今年度予算も間もなく成立となる見込みです。予算審査の段階では、ざっくりとした費目・数字しか並んでいませんが、成立となればいよいよ、どこにいくら、という箇所付けがなされることに。 

 それを見越してでしょう。江戸川区長は今年2月12日、「高規格堤防整備事業の早期事業化を求める要請書」を手に、太田国土交通大臣を訪問しています。同じ要請書は麻生財務大臣にも提出されました。こちらは「江戸川区」名で。

 開示請求により入手した要請書には「区内陸域の7割が満潮時の水位より低く、仮に堤防がなければ日常的に水没するゼロメートル都市」「昭和22年のカスリーン台風、昭和24年のキティ台風など、区の歴史は水害との戦いの歴史」と、いつもながらの危機感が。

 願意は2点。「首都圏のゼロメートル地帯を守る高規格堤防整備の着実な推進」と、「北小岩一丁目東部地区及び篠崎公園地区について、まちづくり事業との共同事業を早期に実現すること」。まさに箇所付け要請です。 

 過去の水害の歴史をおさらいすると、江戸川区のHPにもあるとおり、昭和33年以降は、外水ではなく、すべて内水氾濫であることがわかります。一方、被害状況に関し、利根川を決壊させたカスリーン台風については「多くの人命・財産を失った歴史がある」としており、あたかも区内の被害が甚大であったかのような表現となっています。 

 しかし、区が1976年に編纂した「江戸川区史」には、カスリーン台風について次のように書かれています。(本書は区立図書館で見ることができます。江戸川ネットにもあります。) 

・9月14日夜来、刻々増水を続けた利根川は16日零時20分頃、栗橋付近においてその右岸堤防40メートルが決壊。19日の17時30分頃、本区の小岩町(現・西小岩)付近に達した。 

 そしてこう総括されているのです。 

・このような大水害にもかかわらず、死者は1人に過ぎず、負傷者も143人ですんだことは不幸中の幸いといえよう。

浸水速度が緩慢であったほか、関係当局の避難誘導並びに災害発生後の救出作業が比較的順調に行われた結果であろう。

                 「江戸川区史」第三巻P1002~1012より(下線は稲宮)
 

  区は、被害予測だけを声高に主張するのではなく、都市基盤が整っていなかった当時でも、このように対処できた行政、そして区民性を誇り、適切な避難のあり方などソフト面をもっとアピールすべきでは? 

 要請書には「洪水や高潮はもちろん、仮に地震で堤防が崩壊しても大規模な浸水被害を起こしかねない」とも。だから、スーパー堤防を、と言いたいのでしょうが、お伝えしている通り、東日本大震災では、地震の揺れで2箇所も崩落しています。「強靭な国土形成のため」に本整備が必要としていますが、事実を直視しないで、これが正しい選択と言えるでしょうか。高規格なのは費用だけ。現存の公共構造物の老朽化対策が優先されるべき今、この税の使い方に納得が得られるでしょうか。 

 大臣への直訴となったこの要請書については、区議会にも報告されていませんでした。