公共事業に関する経済学分野の言説~公共事業改革市民会議院内集会「公共事業を糾す」②

寺西俊一さんの基調講演、後半はまず「そもそも公共事業とは?」をテーマに、経済学の諸言説を紹介しながら話されました。

「公共事業」とは、国家が責任をもって担うパブリックな仕事であり、その歴史的先例は下水道建設。かつてはロンドンでもパリでも排泄物を道路に捨てていたことでペストやコレラが大流行した。不衛生な都市施設が原因であり、近代都市に不可欠な施設として公共が責任を持って事業化したのが下水道建設だった。必要性、目的がはっきりしており、市民生活が豊かになる。まさに本来の公共事業の役割を果たしていた。

公共事業に関して経済学分野で諸言説あるが、いちばん最初に経済学における公共事業論にあたるのが、アダム・スミスの「安価な政府(cheap government)」論。これは国防、司法、下水道など必要最低限の、特定の公共事業のみとし、国家にしかできないことをし、財源は国家が責任をもって担う、これが経済学の伝統だった。

ところが、アメリカを中心とした1930年代の大不況時には、大不況を突破するとして、公共事業を経済的な刺激策に使うようになった。公共事業を政府が行う公共的投資と考えて、国民経済を活性化し不況を克服する。ケインズによる「有効需要(effective demand)」、これが戦後の日本において、公共事業を正当化する考えとなった。結果、公共事業が膨らみ、大きい政府となる。これにより財政赤字を生み、財政危機を抱えてしまう構造となったため、有効力を失っていった。

これに対して、戦後後進地域開発にかかわる「開発経済学」の「社会的間接資本(social overhead capital)」論。経済的に遅れた国が進んだ国と同じように発展するためには、政府がどんな役割を果たしたらいいか。たとえばインド。道路・港湾・下水道といった公共的な事業分野(社会的間接資本)に重点的に投資し、その上に近代的経済が立ち上がり、後進国がテークオフして近代化にジャンプできるという後進国開発理論。キーワードの社会的間接資本であり、今の社会資本ストックの理論のベースになっている。

それとは別に、70年代以降、「公共財」(public goods)」の議論が改めて登場する。民間の市場財とは別に、政府でなくては提供できない特別な分野がある。これを公共財、あるいは公共サービス(public goods)ととらえ、そこについては政府は責任をもって供給すべきとの考え。限定的な国の役割を理論的に想定しているが、しかしこれは実際の政策論では役に立たない。教科書には立派に出ているが、空理空論に近く、実際どこの国もこの公共財の理論で政府部門の役割を説明できない。経済学の一人芝居だ。私は学生時代、これがいやになって環境経済学にシフトした。

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