お手盛りの公共事業評価の限界~公共事業改革市民会議院内集会「公共事業を糾す」④

寺西俊一さんは基調講演の最後に、ソーシャル・コモン(SC)の復権を求めて、まず「日本の行政による公共事業評価とその限界」について話されました。

この間、ものすごい勢いで公共事業は増え、年間10兆円規模となり、ピークは1987年頃の14兆8千億円だった。今は6兆円から7兆円規模。岸田政権になり、防衛費が一気に5兆~6兆円規模となり、あと数年で10兆円規模にしようとしている。公共事業はこれに匹敵する額なのである。

そもそもわれわれの税金であるが、これに群がる政官財の癒着構造があり、これで金儲けしている。その犠牲を受けているのが税金を納める国民だ。税の使い方は自分たちに跳ね返り、家の目の前に勝手に道路が作られたりする。中でも大深度地下の東京外環道は驚きだ。すでに閑静な住宅街ができている、その地下を通そうとして掘っていったら陥没事故が起きた。とんでもない事業だ。このために家が傾き、居住権が奪われた住民がいるというのにまともに対応しようとしない。

公共事業はまさにパブリックワークであり、公共的、社会的に、人々にとってプラスになる事業であるべき。国家や自治体がやるべきことをきちっとやるのが本来の公共事業でありながら、なぜか歪んでしまい、規模だけがずっとそのまま続いている。これをどう転換するかが課題だ。

ここで大事なのは、公共事業分野は「ソーシャル・コモン」という考え方だ。

公共事業をもう一度見直すための見直し委員会が、公共事業が問題になった90年代後半から実はそれなりに議論された。そして再度自民党が野に下る2009年。民主党政権ができた時のスローガンは「コンクリートから人へ」。公共事業の中身を変えよう。本当の意味で必要としている人たちの必要に合わせた「ソーシャル・コモン」としての公共事業に変えようとした。これは国民的支持もあり、少し動きつつもあった。

その流れの一環で、一つだけ残ったのは97年の行革の議論の中で、公共事業を含めた評価制度つくろうということ。公共事業を第三者的に評価し、ダメなものはやらず、いいものは伸ばす、いいものを発展させる。そこで、事業評価のあり方が重要となる。国民の税金を使っている事業だから。主権者である国民がチェックする。

そして2001年、「行政機関が行う政策の評価に関する法律」いわゆる「行政政策評価法」ができた。これは「公共事業評価法」ともいわれる。

公共事業については、今まで全く無チェックだったところ、必要性、効率性、有効性、優先性などをチェックし、修正がきくようにしようとした。90年代の公共事業批判というひとつの社会的背景のもとででき上がったものである。

まず、新規事業で事業費10億円以上のものについては始まる前にチェックする①「採択時評価」、次に。採択後放置されている事業(直轄事業3年、補助事業5年)については②「再評価」、そして、終わった事業については③「事後評価」を行うことになった。諫早湾干拓事問題については、事業評価してやめないとダメ。

こうした評価制度ができ、国交省は①269件 ②383件 ③37件やっているにもかかわらず、①はB/C(費用対効果)がすべて1で問題なし ②は大分県佐伯港廃棄物海面処分場1件のみ中止 ③はすべて改善の必要なし、と形だけでほとんどOKとなり、何も変わっていない。これはお手盛りで評価しているから。公共事業改革市民会議の代表がメンバーになるなど、第三者評価でないとダメ。これは大学の試験で自分が答案を書いて自分が採点するようなもので、話にならない。まともなことが制度化されていない。

この公共事業評価の機能不全の典型が東京外環道(関越~東名間)。再評価ではやめるべきというギリギリのところまで来ていた。高いコストに対して得られる便益がわずかで、やることの社会的なプラスがない。①のB/Cは2.9だったが、②では1.9 ③では1.01でほとんどマイナスでストップかかってもおかしくない。それなのにゴーサインが出て、直後に陥没事故が起こった。公共事業評価の限界を象徴している。

*本文は基調講演資料からも追記しています。

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