この堤防事業とはもちろんスーパー堤防事業。なぜなら、危険なところからではなく、つくりやすいところから「点」でつくっているから。建設した自治体は戸田市などいずこも同じ状況。もはや治水事業ではなく、単なる土木事業と言えないか?
江戸川区の状況はすでに何度もお伝えしていますが、安定地盤で、地盤も高く、広大な河川敷と緩傾斜堤防の整備がすでに終わっている頑丈な江戸川沿川・北小岩でスーパー堤防化をすすめる一方、最も脆弱で、今も漏水が認められる荒川左岸地域では、スーパー堤防の対象エリアであるにも関わらず、現状、コンクリートの継ぎ足しでしのいでいます。さらにここには、川を埋め立ててしまおうという「防災ベルト構想」、言わば、スーパー堤防事業と対立するような事業構想もあり、江戸川区の河川行政、治水事業のちぐはぐさが浮き彫りになってきます。
八ツ場ダムからはるかに遠い最下流域。そのまちづくり、防災は「自然の摂理に叶っているか?」「住民は知らされているか?」「100年後の社会、経済、環境を見通しているか?」
この問いに、どう答える?
7月30〜31日にかけて開かれた「市民と議員の条例づくり交流会議」では、被災した場合の復興計画と議会の関わりについて学びました。ひょうご震災記念21世紀研究機構 人と防災未来センター研究部研究主幹・紅谷昇平さんのお話を伺いましたが、阪神・淡路大震災における兵庫県議会の対応の中に、不急の施策の延期決定として「夢の懸け橋記念事業」の延期がありました。その後、かなり縮小しての施工となったとのこと。公共事業については、党派による考え方の違いが明確であり、地域でも「総論賛成、各論反対」になりがちで、復興計画策定における議会の争点のひとつとして挙げられました。
震災復興にあたり、被災地の大規模公共事業は遡上に上っても、被災地以外の事業は何事もないかのように進行している状況に鑑み「不要不急な公共事業2011年度予算を震災復興へ」という市民の取り組みが始まっています。
未曾有の大震災からの復興は、被災地だけの問題ではなく、日本全体の問題です。「戦後」は終わり「災後」が始まっていると言われる今、その公共事業が、復興よりも先にすすめられるべきものなのか、しっかりと考え直すべきではないでしょうか。