もっと市民を信じよう

「任せておけない」住民に選ばれた人に「任せられるか」?

 市民が東京都に提出した原発都民投票条例案。
 石原都知事は、32万人の有権者の思いがつまった条例案を読むこともせず、その内容を知ろうともせず、反対の意見を述べた。この運動を「センチメント」「観念的」と評し、「その結果が錦の御旗が如く力を持つならば、国を滅ぼす危険なことにもなりかねない」とまで。選挙で選ばれた人に任せて、口出しするな、と言わんばかり。

  本会議では、条例案がダブルスコアで否決されたが、満場の傍聴者から、賛成する議員の少なさにブーイングが起きた際、知事は傍聴者に向かって親指を下に向け、サムズダウンして見せた。古代ローマ時代の剣闘士競技を観戦する独裁者がした残酷なジェスチャー。親指を上に向けるサムズアップは「敗者を許してやれ」、下に向けると「敗者を殺せ」との意味だそうだ。暴君そのもの。これこそ冷静さを欠く「センチメント」では? 

 地方自治において間接民主制が基幹であることは論を待たず、今後もそうであり続けるはず。しかし、過去3年間の国政選挙、都議会議員や都知事選挙において、原発の是非は争点になってこなかった。私たちは彼らに白紙委任しているものではない。人を選ぶのではなく、何よりも重大な問題であるこの個別のテーマについて、住民投票で民意をくみ取ることはまっとうな道筋だ。

  署名活動真最中の昨年末、第30次地方制度調査会は、地方自治法改正案に対し、注目されていた直接請求の拡充と住民投票の法制化を先送りする意見をまとめた。抜本改正のはずが、全くの骨抜きに。住民参加は地方自治の基本でありながら、バリアとなったのが中央省庁の官僚ではなく、首長や議長ら地方6団体であることが情けない。「議会制民主主義が変質する」、その対象に地方税を含むことが盛り込まれたことから「減税要求が乱発される」などがその理由。住民に任せたら大変なことになる、つまり、任せられない、ということ。

  先月末、「市民と議員の条例づくり交流会議」で講演された、片山善博元総務大臣。
「では、その任せておけない住民に選ばれたみなさんは、どうなんでしょうか?」とチクリ。ごもっとも。ロクに判断もできない住民に選ばれた、どうってことない人たち、ってことになってしまいますね。もっと市民を信じましょう。

「自治法改正を使いこなせ!」のパネリストとしても参加された片山善博慶応大教授。(左から2人目。「市民と議員の条例づくり交流会議」にて。7/29)