今を生きる住民を守れない「スーパー堤防」

   今月13日に行われた八ツ場ダム住民訴訟最高裁決定抗議集会「ダム依存から真の河川行政への転換を求めて」では、国交省河川局OBで、元淀川水系流域委員会委員長の宮本博司さんが「想定外と治水」をテーマにお話されました。 

 宮本さんは「命を守る治水」に必要なことを2つ上げられました。1つは「避難体制を敷くこと」、もう1つは「人家密集地域の決壊を回避すること」。後者についてはスーパー堤防事業を引かれ、次のように説かれました。 

 国交省は、堤防補強というと「スーパー堤防」を出してくる。淀川の流域委員会でも「スーパー堤防しかありえない」と言ってきた。「スーパー堤防」は、現在の堤防高の30倍まで堤防の幅を広げ、その上にまちを造るという事業。確かにこの堤防になったら水があふれても、決壊する恐れは少なくなる。ある意味、究極の素晴らしい堤防だろう。 

 しかし、30年近く経ちながら、まだ10%もできていない。全部が完成するのが400年、さらにもっとかかるなどと言われている。堤防補強としては、確かに究極の補強だろうが、この堤防では、今生きている人の命は守れない。 

「いつ、どんな規模で起きるかわからない洪水に対し、人の命を守ること」が治水の目的であり、その人とは、400年先の人ではなく、今を生きる人のこと。今生きている人の命を守る対策が、ひいては、50年、100年後の人の命を守ることである。よって、「スーパー堤防」は、優先順位が非常に低いものである。 

 「市街化された地域でできるはずもない事業がなぜなくならないのか」との会場からの質問を受けて、さらに、次のように解説されました。 

 役所では、いかにして住民の命を守るかということよりも、いかに事業を継続できるかが優先される。その意味で、スーパー堤防は理想的な事業。あと400年も仕事が確保されているのだから。本当にこれをやったらいいということなら、何年かで集中して仕事をし終えることだ。ところが、そういうことはせずに、牛のよだれみたいにダラダラダラダラやる。ダムだってそう。住民の人たち、真綿で首を絞めるように、長年かけてやる。その間には役人は代わってゆくから、別に関係ない。本当に申し訳ないけれど、役所というのは、自分たちの仕事をいかに継続していかれるかというのが、ひとつの価値観で動いているから、スーパー堤防は最良なプロジェクトとなってしまう。

 やはり国交省がこだわる「土堤原則」については、明治初期、オランダから来た内務省の雇工師・ヨハネスデレーケが1890年、報告書に記したことを紹介。

 「単ニ土砂ヲ盛リ揚ゲタル堤防ハ、其面ヲ草ヲ生ジタル上之ヲ見レバ、宛モ牢強ナルニ似タリト雖ドモ、其実堤蔭ニ住スル人ノ為ニ甚ダ危険ナリ」

 鬼怒川決壊箇所に新たにできる堤防について、耐越水対策を施すべきところ、肝心の裏法面に何ら対策がなされず、土のままであることについて、これで決壊が防げるのかと疑問を投げかけられました。