可能な限り早く安くできる対策を~「都市化と水害の戦後史」より
水問題に取り組まれている梶原健嗣さんはご著書「都市化と水害の戦後史」(成文堂)で、「災害は、時代を写す鏡である。(中略)社会が潜在的に抱えていた弱さが、否応なくあぶり出されてくるのが災害-震災・水害ほか―の大きな特徴」とし、「最もその色合いが濃いのは『都市型水害』」であるとして、1938年阪神大水害、1958年狩野川台風、1959年伊勢湾台風、1972年大東水害、1982年長崎大水害、1999年福岡水害、2000年東海豪雨、2014年広島土砂災害を緻密なデータとともに取り上げています。
狩野川や伊勢湾は戦後復興による郊外の都市化が、長崎や広島では宅地開発が結果的に災害を誘発しました。福岡は地下街が浸水、やはり地下被害を受けた東海豪雨とともに「平成を代表する典型的な都市型水害」として取り上げています。特に福岡は、都市のど真ん中で水害死が発生したことに注目。地下水害の研究をリードした京都大学防災研究所や、都内の地下街については早稲田大学のシミュレーション結果なども紹介しています。
梶原さんは「都市化」という言葉の曖昧さを的確に捉えるためには、誘因・素因・被害の観点から、多義的な都市型水害を分類して、その社会性を分析することが重要だとし、戦後の都市型水害を3つの類型に分類し、説いています。
また、「ゲリラ豪雨」に関し、「都市化」の影響を論じる中で、1974年の神田川水害がその先行事例であることを紹介、1999年の練馬豪雨ではその局地性・時間的集中度がより強まったとし、都内での発生エリアが区部の北西部が多いことについて、鹿島灘、東京湾、相模湾から流れ込む風が区部で収束、ヒートアイランド現象が顕著なエリアであることから、上昇気流発生の確率が高くなり、ゲリラ豪雨をもたらす強烈な積乱雲になる、との識者の見解を紹介。東京都が1981年から取り組む総合治水対策や、2014年、7年ぶりに改定した「東京都豪雨対策基本方針」について取り上げています。概要はこちらから。
「終わりに」では、「処方箋」として重要なこととして、①求められているのは洪水対策ではなく、水害対策であること=被害ベースで考えること ②一定のタイムスパンで考えるべきこと、を挙げています。
②については、ともすれば、豪雨・氾濫・浸水という事象に目を奪われ、研究者も水害の時間的・空間的な広がりに注意を払いきれていないと指摘。少しずつ日常を取り戻していく中で、家屋の再建や被害の経済的リカバリーなど被災者たちの『新しい苦労』が始まり、最大の悲劇は災害関連死である、と。ご自身が2015年の鬼怒川水害でたびたび聞いた被災者の思いと合わせ、松田磐余氏(人文地理学・自然災害科学)の「被災後の生活困窮こそが真の災害ではないか」との指摘を紹介しています。
そして「確かに、洪水が防げれば水害も防げる。(中略)しかし、気候変動をはじめ豪雨の激化が予想されるなかで、また厳しい財政状況のなかで、『待ったなし』の水害対策を考える時、『いつの日か完成すれば、地域の人々の暮らしが完全に守られる治水』を考えればいいわけではない。大洪水がいつ来るかもしれないという切迫感のなかで、それでも人々の暮らし(生命・健康、財産、地域)をどう守るかを考える時、それは『可能な限り早く、また安く』できる対策で、いかに『被害』を最小化するかを考えざるを得ない。今後は、この点を詰めていきたい」と結ばれています。