両立するの?「ごみ減量」と「ごみ発電」

東埼玉の事例から

東京23区では、プラスチックを含んだごみを焼却した熱から電力を生み出し、それを売却する事業をおこして利益を生み出す、その利益によってごみの共同処理のために23区が支払っている分担金を減らしていく——そんな計画が浮上し、そのための新会社が23区と東京ガスの出資で作られようとしています。「そんなことができるなら、燃やせるものは     7月に最終処分場の現状を視察
全部燃やしてたくさん電力をつくればいいんじゃない?」こんな声が聞こえてきそうです。
果たして、いちばん大事な「資源化によるごみ減量」と「ごみ発電」は両立するのでしょうか。

東京23区は清掃事業の共同処理のために、6年前「東京23区清掃一部事務組合」をつくっていますが、越谷市・草加市・八潮市・三郷市・吉川市・松伏町の5市1町は、すでに昭和40年に「東埼玉資源環境組合」を設立しています。越谷市と草加市2箇所の清掃工場に6つの焼却炉を有し、最終処分場のある吉川市で焼却灰を埋め立てています。

平成7年に越谷市の第一清掃工場(4炉)立て替えを契機に、「ごみ発電」を実施するようになり、その3年後、昭和60年に建設した草加市の第二工場(2炉)は閉鎖しました。ちょうど所沢のダイオキシン問題が発生したときで、基準値はクリアしたものの、古い工場のため新基準については厳しい状況にあるとの判断でした。

ところが、平成16年、人口増加に伴いごみ量も増加、第一清掃工場が危機的状況となりました。大量焼却で工場が実質使えなくなり、ごみを三重県へ搬出することに。これは、資源化の重要性より「燃やせるならば燃やせばいい」という意識の方が先行してしまったためです。そのために資源化体制もすすまなかったという事情もありました。税金を使って他県へごみを運搬することで、初めてごみ減量の意識が芽生え、翌17年にはごみ量は格段に減ったといいます。

そこで、遅れていた資源化をすすめた結果、ごみ量は安定、第一清掃工場は立ち直りました。しかし、フル稼動していること、さらには10年が経過していることなどから、一度閉鎖した第二工場を、何と平成22年に約200億円かけて新築するための準備がすすんでいるというのです。

「ごみ発電」によって、ごみが増えて清掃工場も増える——。何とも皮肉な結果ですが、これが現実なのです。やはり23区の合言葉は「資源化なき焼却はなし!」です。