六価クロム汚染、都の監視は適切になされていたか?~未だ完成をみない東京都市街地再開発事業

環境基準3000倍を超える六価クロムが検出された排水溝は、現在柵で囲まれている(左奥)。この付近で一昨年、200倍を超える六価クロムが検出され、再舗装したため色が変わっている歩道。

27日(水)から28日(金)にかけて、新聞・テレビ各社が次々に報じた小松川地区の六価クロム問題。有毒物質の検出には、「基準値を超える」とか「基準値の数倍」との表現がされますが、今回は「基準値の3000倍を超す」というのですから、相当深刻な状態です。当該場所は、小松川1丁目、船堀橋下。都立大島小松川公園とUR都市機構の団地の間の歩道。今は、写真のとおり、で囲まれています。この付近では、2011年2月に都職員が基準値の222倍を検出、還元剤をまいて無害化処理し、深さ50センチにわたり汚染土壌120トンを取り除き再舗装していました。写真でも歩道の色の違いがわかるかと思います。江東区側でも昨年11月にやはり200倍を検出していますが、これらについても「わずかな量」として周辺住民への周知はしていませんでした。
 

  六価クロム問題が域住民の知るところとなったのは、昭和48年に遡ります。昭和44年、東京都が策定した江東再開発基本構想をきっかけに、亀戸・大島・小松川の98.6haという広大なエリアで、都の市街地再開発事業が始まりました。都市計画決定は昭和50年。公共用地、工場跡地等を避難場所として活用しつつ、周辺を再開発し、震災対策、生活環境改善、経済基盤強化を図る大規模公共事業。その際、都営地下鉄用地及び市街地再開発用地として都が買収した日本化学工業㈱跡地一帯で52万トンにも及ぶクロム鉱さいの大量廃棄が発覚したのでした。同社の従業員にはすでに肺がんなどの労災が発生、周辺住民による健康被害の訴えも多数に上っていました。子どもの皮膚炎も多かったと言います。都は同社を提訴。11年目に和解が成立し、同社の費用負担のもと、都は「恒久処理をした」と発表していました。東京都建設局も、当地の再開発事業の中で、地盤改良材としてクロム鉱さいを使っていた事実もあります。 

 昭和55年から平成12年にかけて集中処理されたのは5か所。今回3000倍が検出された歩道に隣接する「自由の広場」、江東区側の「風の広場」及び「わんさか広場」などです。こうした経緯を経て、都はこの一帯で「土壌・水質・植物の六価クロム汚染度を測定し、監視を行ってきている」としてきましたが、その対応が果たして適切になされてきたのか、大いに問われるところです。 

 特に今回の場所は、最近のゲリラ豪雨で、隣接する車道が冠水しており、この排水溝の水が今後あふれ出る可能性は否めません。地中の六価クロムは、低濃度の場合、地中の微生物との酸化により安全な三価クロムになると言われますが、高濃度の場合は、微生物を全滅させた後も六価クロムとして残留するため、長期にわたる土壌汚染や地下水汚染が懸念されます。速やかな対策が必要です。 

 昭和48年に計画案が公表されたこの市街地再開発事業は「概成」したものの、40年経った今なお「完成」をみていません。事業費は当初4800億円とされていましたが、すでに6000億円とも言われ、はるかに上回っているのは必至。今回大きく報道された小松川地区は、当初の人口が8000人だったところ、再開発により18700人にする計画でしたが、15000人止まり。最寄駅からは至近、都心へも20~30分と近く、災害時には20万人が避難できるスーパー堤防化した公園に隣接、耐火率100%と喧伝された高層マンションが整然と立ち並ぶなど、今求められている、災害に対応できる「強靭なまち」であるはず。水と緑も豊か。なのに、なぜ計画人口に行きつかないのか? 生活者が魅力を感じるまちとは? 六価クロム問題も含め、ここ、再検証する必要があるのでは?